血統書がある”保護猫”と冷たい視線

保護猫=雑種。
そう思い込んでいる人、まだまだ多いですよね。

でも、実際は違います。
ペットショップや繁殖業者からの放棄、ブリーダー崩壊、多頭飼育崩壊など、血統書付きの猫たちだって「保護される側」になることはあります。
そして私がいま一緒に暮らしている猫のなかにも、血統書付きの猫がいます。

スコティッシュフォールドの男の子。
ブリーダー兼ペットショップのオーナーより保護し、我が家へ迎えることになりました。

彼には血統書があります。でも、それがあるからといって「買われた猫」ではないし「守られた」わけでもない。
むしろ、虫の湧いた悪質な環境で、大きくならないようスプーン一杯のフードと練乳を飲んでいた彼は心も体も傷だらけでした。

お金で買ったんでしょ?

正直、この子を迎えたとき、周囲の反応はあまり優しいものではありませんでした。

ある保護団体の方からは、スコティッシュの特徴である折れた耳を見ただけで「ペットショップ?純血ですか?」と他の猫たちとは明らかに違う冷たい目で見られたこともあります。
まるで「本当の保護猫じゃない」と線引きされたような気持ちになりました。

でも思うんです。
じゃあ「保護猫」って、誰が決めるものなんでしょう?

保護された背景や、これまでの生い立ちよりも「猫種」で語られることがあるなんて、おかしな話です。

猫種ではなく「背景」を見てほしい

スコティッシュフォールドは、遺伝子に骨の異常を抱えている猫種です。
見た目の可愛さの裏には、痛みや不自由さといった現実がある。
繁殖の道具として使い、終わったら放棄、産まれた子猫に関しても、折れ耳なら高く、立ち耳なら叩き売り、猫種特有の特徴も説明せずに販売するような繁殖業者が、まだ現実に存在しています。

私がこの子と出会ったのは、そうした“悪質ブリーダーからのレスキュー”という現場でした。
“保護された”ことに変わりはないのに、スコティッシュというだけで色眼鏡で見られる。
「どうせ買ったんでしょ」と言われる。

これって本当に、動物のための活動なんでしょうか?

保護の現場にある「偏見」

もちろん、多くの保護団体やボランティアさんは真剣に命と向き合っていて、日々大変な状況の中で活動されています。
でも一部には、「理想の保護活動像」から外れる存在に対して、必要以上に冷たくなる空気もあるように感じます。

それがたとえば、猫種だったり、血統書だったり、時には保護主自身の属性(家庭環境、SNSの発信内容など)だったりもします。

でも、そこに“命の重さ”の違いなんて、あるはずがありません。

最後に

ともに暮らすスコティッシュの子は、今はすっかり甘えん坊で、のびのびと家猫生活を送っています。
環境が悪かったため生後半年にして持病はありましたが、上手くコントロールできています。それに「生きていてくれる」ことが何より大事。

どうか、血統書があるからといって「買われた猫」扱いをしないでほしい。
そして、保護された背景に目を向けてほしい。

保護猫に“猫種”なんて、関係ないんです。

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